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世界ウルルン滞在記・ラバウルのおじいさんの話

日曜日の夜の番組で、旦那ともども楽しみにしているのが、「世界ウルルン滞在記」と「世界遺産」。ウルルンは当初、あの下条アトム氏の声が気にかかり、なかなか見る気になれなかったのですが、今では全く気になりません。というか、あの変な声でなければイヤかも(笑)。

そういえば、世界遺産も以前のナレーターの緒○直人がヘタクソで、どーーーも癇に障ったのですが、寺尾明の渋くて上手いナレーションに変わったとたん、なぜか魅力が半減した気がしたのは私だけでしょうか(^^;) あのヘタクソが、実は味になっていたんですね…。

で、昨日のウルルンですよ。
私、泣きました。ハッキリ言って大泣きです。

昔日本軍が駐留したラバウルという島に、例のごとく日本の若者が訪れるのですが、そこで彼の世話をしてくれたおじいちゃんが、日本語や日本の唄をたくさん覚えているんです。戦時中に島にいた日本兵達が大好きだったらしく、ウルルンの彼に、日本の童謡や当時の日本兵との親交、彼らから教えてもらった農作物の作り方などを教えてくれます。

若い日本の青年を前に、突然敬礼して見せたり、太陽が沈むときには「ぎんぎんぎらぎら夕日が沈む」と、異様に速いテンポ(笑)で歌ったり…とにかく、日本兵達との思い出を語る時のおじいちゃんの目はキラキラして、本当に彼らが好きだったということがヒシヒシと伝わってきます。そして、50年以上の時を経て再び現れた若き日本人に、そのこぼれんばかりの思いをたくそうとしているかのようです。

うう、こうして書いているだけで思い出して泣けてしまう…。

もちろん戦時中ですし、日本兵が全員いい人ばかりだったとは思いませんし、このおじいちゃんのようにいい思い出を持つ人ばかりだなどとは思っていません。
でも、南の島にすむこのおじいちゃんや島の人々が、かつての日本兵達のおかげで、今でも日本が大好きで、今日も彼らに教わった方法で作物を作りながら、楽しそうに日本語の歌をうたっているのかと思うと、それだけで嬉しい。(おじいちゃんが日本語の歌を歌うと、なぜか子供たちがキャーキャー喜ぶんですよ!)
日本兵というと、それだけで極悪非道のようなハナシばかり聞かされますが、やっぱりそれだけじゃないんだな、と、あのおじいちゃんの笑顔が身をもって教えてくれました。

ちなみに、おじいちゃんが戦争で一番悲しかったのは、日本が敗戦し、日本兵達が島を離れてしまうことだったそうです。

日本兵は、地元の人と物々交換するとき、女性や子供を驚かせないために、「もしもしカメよ」の唄を歌いながらやってきたそうです。そのときに彼らが決めた物々交換の基準(お米小袋一つと卵2個、等)は、今でも現地で使われています。
童謡を歌いながら物々交換にやってくる日本兵達と、彼らを真似て「気をつけ」や「休め」「敬礼」を繰り返す南国の少年。戦時中にはふさわしくない言葉かもしれませんが、なんともほのぼのしていると思いませんか?

自分のおじいさんがかつて戦争に行ったということを本気で責める孫がいるそうですが、そういう孫に、この番組を見せてやりたい。

最後に、ウルルンの青年が日本へ帰るとき、おじいちゃんは涙をこらえながら敬礼し、日本兵達が戦場へ向かうときに歌ったという「海ゆかば」の唄を歌いました。おじいちゃんにとって、大好きな日本人を見送るのは、これで2度目なのでしょう。

ああ、ダメ、また涙が…

そして、当時のように気高くも優しくもつつましくもない現代日本人を振り返り、罪悪感と焦りのようなものが…。

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

Comments

1943年の時点で、ペリリュー島には、899名のパラオの村人がいた。

刻一刻と迫る米軍。

村人たちは、白人統治の時代を知っています。
そして日本統治の時代も、身をもって経験している。

日本兵と仲良くなって、日本の歌を一緒に歌っていた村人は、仲間たちと話し合った。
そして村人たちは、大人も子供も、一緒になって日本軍とともに戦おう。
そう決めた彼らは、代表数人とともに、日本の守備隊長である中川州男大佐のもとを訪れます。

平素、温厚な中川隊長なら、自分たちの頼み・・・一緒に戦う・・・を聞いてくれるに違いない。

そして中川隊長に、「自分たちも一緒に戦わせてほしい」と申し出た。

それを聞いた中川隊長は、瞬間、驚くような大声をあげた。

「帝国軍人が、貴様ら土人と一緒に戦えるかっ!」

・・・・・・

驚いた。日本人は仲間だと信じていたのに、・・・みせかけだったのか。。。。

村人たちは、日本人に裏切られた思いで、みんな悔し涙を流した。


そして、日本軍が用意した船で、パラオ本島に向かって島を去る日がやってきた。

港には、日本兵はひとりも、見送りに来ない。

村人たちは悄然として船に乗り込んだそうです。


そして、汽笛が鳴る。

船が岸辺を離れた。。。。

次の瞬間、


ペリリュー島に残る日本兵全員が、浜に走り出てきた。

そして一緒に歌った日本の歌を歌いながら、ちぎれるほどに手を振って彼らを見送った。

そのとき、船上にあった村人たちは、わかった。
日本の軍人さん達は、我々村人を戦火に巻き込んではいけないと配慮したのだ、と。

涙が出た。

岸辺に見える日本兵に向かって、村人たちは、号泣しながら、手を振った。

誰もが泣いた。ちぎれるほどに手を振った。


1944年9月12日、ペリリュー島をめぐる日米の戦闘の火ぶたは切られた。

島に立てこもる日本軍10,500名。

対する米軍総員48,740名。

Posted by: MM | Jun 11, 2009 at 07:43 AM

★MMさん、

このパラオの話、私も色々なサイトで拝見しました。
こちらも涙なしでは語れないエピソードですよね!

ただ、このお話はそもそも私のエントリーとは違う話題ですし、
私のブログに対するコメントでもありませんよね?

この欄は掲示板ではなく、このエントリーに対するコメント欄ですから、
ご自分の書きたい話のみを、長文で一方的に書き込んでいくのは、
ブログをご覧になる他の方にもあまりよい印象を与えないかもしれません。

せっかくいいお話を書いても、
単なるスパマー扱いされてしまってはもったいないですし、
むしろ多くの人の目を遠ざけることになって逆効果ではないでしょうか。

他の人のブログにコメントするのであれば
そのエントリーと関連する話題であることを明記した上で、
もっと短い文にまとめて書き込むか、
あるいはご自分のブログを立ち上げた後に
該当する記事にトラックバックなさるのがよいかと思います。

Posted by: comana | Jun 11, 2009 at 10:24 PM

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